新羅の太宗武烈王墓に行ってきました。

慶州の高速バスターミナルから自転車で15分、車で路線バスで10分弱で行けます。
私は、KTX新慶州駅からバスで行きました。系統番号は忘れましたが、直接アクセス可能です。バスは駅内のインフォメーションでも案内してくれます。

写真は、武烈王陵の目玉ともいえる碑文です。

この碑文が見つかったことで、小さな円墳状の陵墓を武烈王と断定したそうです。
写真は、石碑の本体の上に乗せられる碑石の本体にのせる螭首(ちしゅ)という部分です。

本体はすでにありませんが、螭首(ちしゅ)の中心に武烈王の子で政治家として書家としても知られる金仁問により書かれた碑文が刻まれています。

ここに「太宗武烈大王之碑」と刻まれているそうです。

太宗武烈王と言えば、唐と新羅の連合軍を持って白村江の戦いで百済を滅ぼし、朝鮮半島統一の礎を築きました。
白村江と言えば、日本史の教科書にも登場します。天智天皇が、百済の救援を送り出したことで知られます。
天智天皇は、百済救援の失敗と唐と新羅の報復を恐れ、九州北部に大宰府の水城、西日本に山城を築き備え防人を配置したことが日本書紀で伝わっていますね。

金仁問の墓も隣接して存在します。下の写真は、国立慶州博物館にある金仁問墓の前にある碑文です。

ぜひ武烈王墓に行ってみて下さい。

新羅の朝鮮半島統一の事業を外交官・政治家として活躍し、武烈王の死後も大活躍した歴史上の人物・金仁問の書は見ものです。