13年前、アルメニアとグルジア(現ジョージア)へ行って来ました。

アララト山脈が見下ろすアルメニアとジョージアは、旧ソ連の代表的な避暑地でした。
アルメニアは”アララト”ブランデーが有名で、ジョージアは太古よりのワインの産地として知られています。

写真は、ジョージアの首都トビリシの中心にあったイベリアと言う観光ホテルです。
旧ソ連のジョージアにおいて、国内最大のこのホテルは海外からも観光客が来るドル箱そのものでした。

ホテルはルスタベリ大通りと言うトビリシ最大の目抜き通りの中心に位置し、ホテル正面は大きな広場となっており、ここでロシア革命記念の軍事パレードなどを行ったそうです。

このホテルが、92年から94年に発生したアブハジア紛争の難民の住居となっていました。
とても高級ホテルとは思えないほど、ベランダはブリキの板で覆われるなど貧しい姿になっていました。
観光客向けには、当時、1フロアか2フロアしか収容できなかったそうです。

ソ連の崩壊後、92年に当時ジョージアに属するアブハジア自治共和国において、ハブハジア人勢力がジョージアからの独立を求めて内戦が発生しました。アブハジア紛争です。現在のアブハジアの人口の50%がアブハズ人でジョージア人は2割弱です。ソ連時代はジョージア人が50%、アブハズ人が20%弱だった構成を考えると、紛争の中でアブハジアからのグルジア人の排除や民族浄化が行われたことが指摘されています。

アブハジアに暮らしたジョージア人の80%は、この紛争でアブハジアからの避難を余儀なくされました。

この大量の避難民を受け入れるため、国内の空ビルやアパートやホテルなども難民キャンプと化しました。

戦争がもたらす民族への迫害や貧困の実態をこのホテルを通して目の当たりにしました。

観光が主な経済資源となるグルジアで、内戦がもたらした悲劇を象徴するようなホテルでした。

実際、当時のグルジアで私がトビリシの駅で2日間チャーターしたタクシーもドアがついていないぼろぼろのタクシーでした。

帰り、トビリシの空港で飛行機に乗る前に、銃を持った空港警備の軍人?から20ドルを要求されるという経験もしました。

わずか1泊のグルジア観光は、私にとって戦争がもたらす貧困と腐敗を痛感する観光となりました。

このイベリアホテルに暮らした難民たちは、トビリシ市から資金を受けて転居したそうです。
そして現在は、高級ホテルを運営するラディソングループが5つ星ホテルを建築して再び高級ホテルとなっているそうです。