釜山の街中に、かつて毛利輝元が築城したと言われる倭城があります。

朝鮮時代の釜山には、東莱府がおかれていました。その守りの要として釜山鎮がおかれていました。
秀吉による文禄・慶長の役は、釜山鎮の戦いにより幕は開けました。

毛利輝元は、ここ釜山鎮に城を築きました。
ここで紹介するのは、釜山鎮城の支城で”子城台”と呼ばれている場所です。

子城というのは、本城の釜山鎮城の支城のことだそうで、支城がたつ小高い台地だから子城代ということのようです。

子城台には、江戸時代の朝鮮通信使がここから送り出されました。
通信使を送り出すにあたって、航海の安全などを祈願した永嘉台(復元されたもの)などもあります。

では、本編に戻って子城台についてですが、現在も立派な石垣が残されていました。
子城台には、石垣、天守台、虎口、登り石垣が残されているそうです(「倭城ナビ」参照)

石垣2 確かここを上りきると本丸があって、永嘉台があったような気がします。(順不同ですいません)

石垣3 現在は公園になっています。奥には遊具が見えています。

石垣4 石垣の高さが多少は伝わるかな…心配です

これは刻印石でしょうか。いたずらでしょうか。気になったので写真に収めました。

藪に踏み込むとこんなものが地中から少し顔を出していました。地中に顔をのぞかせるかわらを持ち上げてみたら、こんな開示でした。これはいつの時代の何の文様でしょうか。もしかしたら、復元物??

ちょっと藪や石垣の下を除くと、屋根瓦のようなものがたくさん散らばっていました。

屋根瓦2

屋根瓦3 すいません、こういう地中に埋もれているものを写真に収めるのが好きなもので…

子城台の見学を終えて、城を下ると釜山鎮支城の西門が出てきました。(確か、不正確です。指摘歓迎します)

この石の柱は、釜山鎮支城を築造した際に作られたものではないかと推定されているようです。
刻まれている文字は、「西門は国の錠前の如し」と言う意味だそうです。釜山鎮支城役割、国防上の重要性をうかがわせます。

この子城台の存在は、西生浦倭城を見に行った際にガイドの方の話を聞いて知りました。

釜山鎮は、元禄・慶長の役の後も国の守りの海の要衝として、朝鮮通信氏の出発地点として日朝交流の出発地点として重要な役割を果たしました。